私はいわゆる機能不全家庭、毒親と呼ばれるような両親のもとで育ちました。
親から遠く離れても、10年という時間を経ても、私を思い通りにできるはずだと考える親の要求は変わりませんでした。
その対策として実行した支援措置申請について書いていきます。
支援措置申請までの経緯
「毒親」というのは取扱い注意な言葉です。
親が真っ当な接し方をしてきたとしても、残念ながら子供にそう言われてしまうことはあるでしょう。
一方で、親からの不当な扱いに苦しんできた人達は昔から確実に存在していました。
そういった人達の苦しみを明らかにしたのも「毒親」という言葉です。
私は、語源となったスーザン・フォワード著『毒になる親』を読んで、本質的には親を責めるための言葉ではないと捉えています。
苦しんでいる子供(あるいは過去子供だった大人)が、自分の問題とその原因に向き合うための言葉です。
健全な人生を取り戻すための、回復のための言葉です。
私は約10年前に毒親とほぼ連絡を断ちました。
もし他人に対して行えば、刑罰や訴訟の対象になるような言動すら私に繰り返す両親でした。
幼少期からの体調不良や様々なストレス性の疾患、原因不明の体の痛みや不定愁訴に悩まされてきました。
親から離れたことで寛解したり症状が軽くなったりはしましたが、おそらく一生付き合うであろう症状は今も残ったままです。
また、自分が軽んじられる存在であることを受け入れてしまっている部分があり、人間関係にも悩みました。
両親には何度も訴えましたし、第三者立ち会いのもと話し合いをしたこともありますが、何も変わりませんでした。
それでもなかなか逃げられなかったのは「いつかわかってくれるんじゃないか」「いつか暖かく接してくれるんじゃないか」という思いを捨てられなかったからです。
何度裏切られても、なかなか目を覚ますことができませんでした。
自分の苦しみが家庭環境によるものであると気付き、それを認めるまでにはまた別の辛さがありましたし、長い時間が必要でした。
しかし、迷いながらも親から離れる選択をしたことは、間違っていなかったと今なら断言できます。
「もう連絡を取りたくない」とメッセージを残して、住所を知らせず引っ越しました。
ほぼ絶縁10年目に親からの連絡
たびたびメールや着信がありましたが、同居や近居に比べたらずっと楽でした。
しばらくして結婚した後は、夫が実家側からの細々とした連絡を受け取る役割をしてくれています。
他人である夫に対してはあまり大きく出られないようで、必要な公的手続きなどの連絡が来る程度でした。
妹から私へ向けた批難のメッセージが来ることもありました。
それ以外は平和な日々を送っていたのですが、10年目に父親から私に直接連絡がありました。
通話とメールは拒否設定をしてあったので、SMSで「母親が手術をするから家に帰るように」という内容でした。
夫から「家に帰ることはない」と返信してもらいましたが、私が体調を崩してしまい、担当カウンセラーに相談して、今更ながら公的な支援制度である支援措置を受けることにしました。
今まで支援措置申請をしなかった理由
親から離れた後10年間、支援措置を申請しなかったのにはいくつか理由があります。
- 法的に縁を切ることはできないため、あくまでその代替手段の一つであるということ
- 両親の仕事や住居などの関係で、夫と住む家にまで来る可能性は低いと考えられること
- 引越し当時かなり体調が悪く、離れるだけで精一杯であったこと
- 「離れればもうひどいことはされないのでは」という私自身の認識不足
認識不足についてはとても後悔しています。
結婚してからも妹とはしばらく連絡を取っていました。
しかし、理不尽な要求に応えないことを責められ、そのストレスでまだお腹の中にいた息子を危険にさらすことになってしまいました。
妹からの連絡も拒否し、無事出産を迎えられましたが、息子には申し訳ないことをしたと思っています。
また、独身の頃は戸籍を独立させる分籍を考えたこともあります。
しかし、結婚をする場合に相手やその家族に悪印象を与える可能性や、何より法的に「縁を切る」ということが不可能なことに失望してしまい、実行に移せませんでした。
仮に当時支援措置や分籍の手続きをしていたとしても、すべてがうまくいったとは限りません。
ただ、迷いや甘さで毅然とした対応が取れなかったことは、今でも悔やんでいます。
今回支援措置を申請した目的
すでに実家と没交渉になってから10年経っており、その間に住民票などを見られている可能性はありました。
しかし、実家側はいまだに「道を間違えた娘(私)を許してあげている」というスタンスでした。
昔からそうだったように、私が折れて謝ってくると考えていると推測できます。
また、必要以上に親の執着心を強めないように、完全に連絡を絶つことはしていませんでした。
以上のことから、住所確認まではされていない可能性も捨てきれないといった状況でした。
こちらの安心安全と、いざという時の意思表示のためにも、今回支援措置を申請することにしました。
ただ、支援措置を受けていることを親に伝える予定はなく、限定的な連絡手段は残してあります。
支援措置申請への準備
まず住んでいる自治体の役所に電話をして、必要な手続きについて話を聞きました。
担当窓口がわからない場合は、まず「支援措置について相談したい」と伝えれば繋いでもらえます。
ネットでもある程度は調べられますが、住まいのある自治体によっても対応が変わるので、直接聞くことが大事です。
「過去に親から○○や××をされていて、最近また連絡が来ます。支援措置を受けたいのですがどうすればいいでしょうか?」
上記のように質問しました。
ポイントは以下の通りです。
- 具体的な親の問題行動の例(できれば家庭問題に詳しくない人にも伝わりやすいもの)を挙げる
- 「最近また連絡が来る」という緊急性を伝える
- 「支援措置を受けたい」という自分の意思を明確に示す
この通りでなくても大丈夫だと思いますが、相談先が家庭問題にあまり詳しくない場合、和解を勧められるなどして辛い思いをする場合があります。
措置が必要である、ということを意識して強調しました。
手続きの手順や必要なものが聞けたら、次は実際の手続きです。
役所窓口での手続き
私が住んでいる自治体での手続きであることを前置きします。
- 身分証明書
- 親の問題行動を記録したメモ
- 筆記用具
記録は必須ではありませんが、整理された情報があると冷静に説明しやすくなります。
私は時系列順にまとめておきました。
相談の場でメモを取れるように、筆記用具もあると便利です。
役所窓口での事前説明
まず現在、親に住所が知られていないか確認されます。
その場合は手続き自体が無駄になってしまうためです。
私は知られているか不明でしたが、受け付けてもらえました。
さらに下記の説明を受け、納得できれば手続きが進みます。
- 知人などを経由して情報が漏れるのは防げないこと
- その結果、何らかの問題が起きても責任は取れないこと
役所窓口で書類に記入
記入した書類は以下になります。
- 親・私それぞれの名前や住所などの個人情報と、希望する支援内容を記入する書類
- ①を持って期限内に警察へ相談に行かなかった場合、手続きが無効になることへの同意書
- 支援措置を受ける際の注意点が記載された書類
- 被害内容の詳細を記入する書類
- 現在の家族が私の住民票を取得できるようにする書類(配偶者や子供がいる場合、必要であれば)
①は役所に確認してもらったあと、後日警察へ相談に行って提出することになります。
先に警察へ相談していた場合は、記入するだけでいいとのことです。
この書類は毎年更新手続きが必要とのことで、コピーして控えておくことを勧められました。
②と③は主に署名です。
④は「いつから・どのように」を具体的に書くようにと指導されました。
とはいえ、「いつから」は『5歳頃』や『同居していた間』のようにおおよそでも大丈夫でした。
思い出したくないことをわかりやすく書かなければいけないので、やはり一番辛く、時間のかかった書類です。
私の場合は、親から直接大けがをさせられるようなことはほぼありませんでした。
それ自体は悪いことではないのですが、一方で他者からの理解を得られにくいという苦しさがありました。
申請時もそれを心配していましたが、無事に受理されました。
心理的・精神的な攻撃が主であっても、支援を受けられる可能性はあると言えるでしょう。
⑤については、支援措置が適用されると夫でも私の住民票を取得することができなくなるとのことでした。
役所窓口での本人による取得は可能ですが、コンビニでの発行は利用できなくなるそうです。
不慮の出来事があったときに備えて、事前に指定した本人以外の家族が住民票を取れるような書類を作成します。
こちらは後日、夫の身分証のコピーを持って私が申請しました。
以上で役所窓口での申請は終わりです。
気力・体力ともに消耗した一日でした。
警察での手続き
前述の個人情報・希望する支援内容を記入した書類を持って、生活安全課に行きます。
事前に証言をしてくれそうな人から了承を得ていましたが、結果として証拠は求められませんでした。
あれば話が伝わりやすくなるかと思いますが、必須ではないようです。
受付で「支援措置を希望して役所で手続きをしてきた」と伝えて待ちます。
担当してくれたのは、ビジネスカジュアル風の服装の女性でした。
少しだけ緊張がほぐれたことを覚えています。
役所で記入した書類を確認・補足しながら聞き取りをされました。
- いつから・何をされたか(具体的に)
- 両親以外の家族・親族とはどんな関係か
- 実家と没交渉になってから支援措置申請までに10年掛かった理由
上記に答えながら、以下の困っている点も訴えました。
- 連絡を拒否しても無視されること
- 体調を崩していること
また、「もし親が家に来てしまったらどうすればいいか」の質問には「家から出ずに帰るよう伝えてください」「それでも帰らなかったり、近所に何か触れ回るようなら遠慮なく通報してください」とのことでした。
最後に「近日中に役所へ回答します」と伝えられて、警察での手続きは終了しました。
支援措置が適用されているかの確認
警察での手続きから1ヶ月経っても特に連絡はなかったので、おそらく適用されているはずと思いながら、念のため確認してみました。
役所に電話すると「警察で『受理できない』と言われていなければ適用されています」とのことでした。
支援措置申請を終えて
非日常的な手続きに不安もありましたが、終わった今はほっとしています。
幸運なことに、私の住んでいる地域はこういった支援に比較的力を入れているようで、よく話を聞いてもらえました。
支援措置が有効に働いてくれるかどうかは、まだわかりません。
ただ、役所や警察に相談する実績を積めたことと、支援が必要であると認めてもらえたことで、過去の家庭環境をより客観視できた点はよかったと考えています。
本当はこの記事が、誰の役にも立たない世界であればいいと思います。